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​とは?

世界でも飛びぬけて発達している日本の鉄道網。近年でも仙台市営地下鉄東西線やJRおおさか東線等、新路線が開業する傍ら、用途を失い廃止された鉄道も多くあります。本シリーズでは、関東地方にある様々な廃線跡をみなみゆきのり自身が実際に歩き、当時の面影を偲ぶ番組です。日本の中でも特に鉄道網が発達している東京でさえ、用途を失い廃止された鉄道がいくつもあります。私と一緒に、往時の栄華をしのんでみませんか?

出演:堀江みゆき・葛西蒼空・八千代橙子・成田あやめ・葛西のぞ海 月替わりで1~3名出演

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の4つの柱

​行程ノーカット

路線の起点から終点まで全行程をノーカットで撮影。もし現存していたら見えたであろう車窓を想像できます。

現地×資料

現地の調査だけではなく、撮影前のリサーチや撮影後の調査も欠かせません。航空写真の比較も必見です!

高い資料性

知名度に関係なく、地域の交通を担ったことを後世に伝えるため、地域の史料館で放映することを念頭に製作しています。

​ナビゲーター

毎回ナビゲーターがご案内。路線の歴史や廃線跡の見どころ、さらに沿線のプチ情報にいたるまで幅広く解説します。

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#1 総武本線 銚子~新生

​1972年まで、総武本線は銚子からさらに先に進んだ新生という貨物駅が終点でした。新生からはさらに銚子市所有の臨港線が伸びており、銚子漁港まで線路が伸びていました。

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#2 東横線 東白楽~桜木町

2004年にみなとみらい線との乗り入れ開始と引き換えに廃止された、東横線の東白楽~桜木町間。現在東白楽~横浜間は多くが遊歩道として整備されており、線路を忠実に歩くことができます。一方、横浜~桜木町間はほとんどの施設が現存しており​、大変貴重な遺構となっています。

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#3-1 東京都港湾局専用線 深川線

23区に残る唯一の非電化貨物線となった越中島貨物線。1989年まではさらに東京都港湾局所有の臨港線が伸びており、当時工業地帯だった豊洲、晴海地区に縦横無尽に伸びていました。この回では、そのうち越中島貨物駅から新豊洲駅付近まで伸びていた深川線を歩きます。

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#3-2 東京都港湾局専用線 晴海線

深川線と共に、晴海地区の重要な臨港線として運用された晴海線。途中の豊洲付近から分岐し、晴海ふ頭の先端付近まで伸びていました。今も残る巨大な鉄橋をはじめ、随所に残る痕跡も必見です!

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#4 東海道貨物線 汐留~東京市場

2018年に廃止された築地市場。水産棟は大きく弧を描いていましたが、それは鉄道貨物の荷役設備の名残。かつての汐留貨物駅から築地市場へ延びていた線路をたどります。今はもう見ることのできない、在りし日の築地市場の内部の様子も必見です!

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#5 北王子線

2014年に廃止された北王子線。晩年は23区内にありながら1日4往復しか列車が走らない非電化の貨物線という稀少性から注目を集めていました。

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#6 東京都港湾局専用線 日の出線・芝浦線

第3回で歩いた東京都港湾局専用線​。実は芝浦地区にある専用線の方歴史が古いです。晴海線と比べて注目される機会は少ないものの、その跡地は今もゆりかもめの軌道敷として活用されているほか、わずかながら痕跡を確認することもできます!

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#7 京王線 新宿追分~笹塚

かつて京王線は、新宿駅付近で甲州街道を併用軌道で走っており、ターミナルも東側に位置していました。かつての新宿追分から、併用軌道区間を抜けて今は緑道と化した線路跡へ、こまめに設置されていた駅をたどりながら笹塚まで歩いていきます。

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#8 山下臨港線

五港の一つに数えられ、大きく栄えた横浜港。かつては至る所に専用線が敷設され、山下臨港線もその一つ。観光名所と化した汽車道などをたどりつつ、今も残るその痕跡を探しながら歩いていきます。

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#9 代田連絡線

第二次世界大戦中、小田急と帝都電鉄(現・井の頭線)で車両を融通するべく敷設された代田連絡線。痕跡はあるものの、混乱期ということもあって公的資料はゼロ。唯一当時をしのぶことができる航空写真を頼りに、今は住宅地に飲まれた線路の痕跡を探していきます。

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#10 京急大師線 小島新田~桜本

京急でものんびりしたローカル線である大師線。かつては小島新田からさらに桜本まで伸びていました。川崎市電への譲渡や国鉄との共用など、複雑怪奇な線路の使われ方の変遷も徹底解説!

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#11 総武本線(旧線) 物井~佐倉

かつて総武本線は、寺崎台地を避けて北へ迂回するルートをとっていました。田園地帯ということもあり、その痕跡はところによりまだ明確に残っているのが特徴です。

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#12 京浜電気鉄道大森支線

京浜電気鉄道が品川まで延伸するまでの間、暫定的に大森駅で国鉄と接続するために敷設された軌道線。廃止されたのは戦前ながら、今も残る痕跡が!それは一体何か、答えは動画で!

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#13 東高島駅付近の貨物線

東海道線や京急線からさらに海側を走る、貨物専用線の高島線。途中に東高島という貨物駅がありますが、かつてはここから複数の貨物線が伸びていました。まずは東神奈川駅から海神奈川駅へ、そして東高島から瑞穂埠頭など3つの専用線をたどります。

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#14 相模線西寒川支線

川砂利輸送で栄えた相模線。その中で西寒川支線はかなり有名ではないでしょうか。今もモニュメントとして軌道敷が一部残されています。動画では、西寒川にとどまらず、さらに線路が続ていたという情報をもとに本当の線路の終点を探します!

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#15 京王線(旧線) 仙川~調布

京王線では、2012年に国領~調布間が地下化されましたが、90年前までは、現在のルートより北のルートをたどっていました。年月が経ち、ほとんど痕跡がないと思いきや、航空写真を見ると…!?

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#16 京成千葉線 新千葉~旧京成千葉

戦前、京成千葉線は千葉市の中央部に当たる、現在の中央公園付近にターミナルを置いていました。戦後区画整理の過程で現在地に移転。かつてのルートは市街地に飲み込まれてしまいました。動画では、様々な資料をあたり、より正確なルートを推定。それに基づいて歩いていきます!

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#17 須賀線

2014年に廃止された北王子線。実は途中で現在の豊島五団地へ向かう須賀線が伸びていたことをご存知でしょうか?須賀線の分岐点から豊島五団地へ。2車線道路にしてはやけに歩道が広い道を歩きながら、当時の面影をしのんでいきます。

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#18 東海道貨物線新興駅

#13で取り上げた東高島駅から北に向かうと、かつて新興駅という貨物駅がありました。当初は入江駅から新興駅に支線が分岐する形態でしたが、後に全体を新興駅に変更。今も所々に残る線路跡を見つつ、最後まで共にした内外輸送専用線も歩いていきます。

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#19 下河原線

下河原線といえば、東京競馬場への支線が有名ですが、その始まりは砂利輸送でした。今回は当時の貴重な線路図と呼ばれる配線図を入手。貴重な資料をヒントに、どこにも負けない考察をしていきます!

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#20 都電砂町線

その多くが併用軌道だった東京都電。その中でも砂町線は、専用軌道の占める区間が多く、現在は緑道として整備されています。東陽町駅に近い洲崎から、併用軌道と専用軌道を交互に歩いて亀戸駅近くの水神森迄歩きます。

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#21 京葉線 蘇我~都川信号場

意外と知られていませんが、京葉線の始まりは貨物線でした。開業当初蘇我駅付近での用地買収が上手くいかず、暫定的措置として川崎製鉄の専用線を間借りし、現在のフェスティバルウォーク付近で現行のるいーとに合流していました。京葉線の意外な歴史に注目です!

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#22 都電錦町線・土橋線

2020年1月、御茶ノ水駅前の御茶ノ水橋改修工事中に、戦時中に休止、廃止された都電の線路が出土して話題になりました。この軌道は錦町線のもの。動画では、錦町線と当初一体で開業した土橋線を歩きながら、御茶ノ水から新橋まで歩いていきます。

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​#23 外房線(旧線)土気~大網間・大網短絡線

外房線は随所で線形改良が行われましたが、特に土気~大網間は有名でしょう。外房線屈指の難所を乗り越えるため、どのようなルートをたどっていたか。今も残る切通の迫力は圧巻です!

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#24 連合国軍羽田専用線・京急穴守線

戦後連合国の占領下におかれた際、羽田空港は接収され、蒲田駅から京急空港線を介して貨物輸送が実施されていました。またその京急空港線は当初穴守線として開業。蒲田~空港線と、空港線の旧線、そして空港に飲まれた穴守線の複雑な歴史をひも解いていきます。

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#25 総武鉄道海神線

京成電気軌道を成田まで延伸するのに、必要な資材を総武鉄道(現・東武野田線、総武本線を敷設した総武鉄道とは別​)を経由して搬入していました。その後国鉄対策で総武鉄道と京成の接続を図るべく旅客線として活用を試みたものの、利用が振るわず5年で廃止された幻の路線です。

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#26 京成谷津支線

かつて、京成電鉄は谷津遊園を経営していたことをご存知の方は多いでしょう。しかし、その谷津遊園のためだけにわざわざ支線を延ばしていた時期がありました。90年前に廃止されたものの、航空写真を頼りに当時の線形を推測していきます。

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#27 山手線 大崎~大井町

まあるい緑の山手線。100年以上前、支線があったことをご存知でしょうか。日本一有名な鉄道路線の隠れた新歴史。あなたの知らない山手線の歴史を徹底解説します!

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#28 東横線 渋谷~代官山

2013年に副都心線との直通運転開始に伴い、地下に移設された東横線の渋谷~代官山間。晩年は多くの人が足を止めてカメラに記録。大きなお祭り騒ぎとなりました。あれから7年、現在の廃線跡はどうなっているか。そこには鉄道会社でありデベロッパーでもある東急ならではの答えがありました!

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#29 小田急向ヶ丘遊園モノレール・登戸連絡線

世界でも2例しかなかったロッキード式モノレールの一つ。点検中に致命傷が見つかり、そのまま再開することなく幕を閉じたモノレールと、かつて小田急線と南武線をつないだ連絡線の痕跡を探していきます。

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#30 千葉県の専用線①

千葉県に数多くある専用線のうち、今回は香取市の入正醤油、市川市の北越製紙、日本毛織の各専用線を歩いていきます。いずれも廃止から年月が経ち、現在はどうなっているのか。歩きながら観察しつつ、当時の状況を探っていきます。

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#31 神奈川臨海鉄道水江線

2017年、鉄道ファンから注目もされずひっそりと幕を下ろした貨物線が川崎市にあります。廃止までの約30年、貨物列車が運行されること無く、機関車と訓練列車が走るだけの知る人ぞ知る路線でした。現在も残る痕跡をたどりつつ、線路の終端を探し歩いていきます。

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#32 九十九里鐵道

千葉県の軽便鉄道として有名な路線。晩年はバスに勝てず廃止という悲しい終わりでした。あれから半世紀以上の年月が経ち、今はどうなっているのか。シリーズ史上最長距離を更新!東金から片貝まで歩き通し、景色を見ながら当時の車窓や風景を想像していきます。

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#33 平塚油槽所専用線

湘南地域の中核都市である平塚市。かつては平塚駅から専用線が分岐していました。今回はメインを1996年に廃止された平塚油槽所専用線をメインに、複数の専用線の痕跡を探していきます。

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#34 新京成線(旧線)藤崎台ルート

旧日本陸軍鉄道連隊演習線を利用して開業した新京成線。新津田沼駅の位置、ルートを巡っては、たびたび変更されていました。ここでは、かつて藤崎台を経由して直進していたルートをたどりつつ、新津田沼駅周辺の変遷を解説していきます。

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#35 西武安比奈線

入間川の砂利採取を目的に敷設された安比奈線。2009年にはドラマにも登場し、鉄道ファン以外にも知名度を上げた有名な廃線。安比奈線を取り上げた動画は数あれど、本動画ではほかの追随を許さない徹底的な探索を実施!線路跡とずれた踏切や、分岐点を思わせる西武所有地、さらに安比奈から先へ延びていた線路の謎などを研究します!

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#36 伊豆箱根鉄道駿豆線 旧三島~三島広小路

かつて、東海道線は箱根山を迂回するため御殿場を経由していたことは多くの方がご存知でしょうそれと連動して、伊豆箱根鉄道駿豆線も、かつては現在の御殿場線下土狩駅を起点にしていました。戦前に廃止されながらも、今も市街地に色濃く残る線路跡。そして幻の下土狩線復活計画の裏側までご紹介!

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6月公開予定。お楽しみに!

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